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2011年4月 5日 (火)

初めて被災地へ

 昨日(4月4日)ようやく東日本大震災の被災地に入ることができました。Photo_16

 3月11日に大地震発生後、現地の混乱の状況を鑑み、被災地訪問が救助活動の妨げになることを回避しなければならないという観点から今日に至った訳です。

 当日朝8時20分発の東北新幹線に仲間の議員6人と共に乗り込み、那須塩原へ、そこからジャンボタクシーを借り上げ、約3時間かけて、宮城県亘理町、名取市、仙台市へと向かいました。

Photo_8  東北自動車道は開通しているものの、路面状態は悪く、各所で補修作業が行われているものの、タクシーの中で我々が飛んだり跳ねたりするが如き状況でした。

Photo_9  道中 自衛隊の車輌や各県から派遣された消防・警察関係車輌が走行しており大変心強く思いました。

 被災地に着き、一面ガレキの山、流されてきた家屋や自動車船舶、塩水がまだ残っている田畑・・・、テレビ画面で見ているのとは全く違った息を飲むような光景に全員慄然とする想いでした。 Photo_4

 遠くに見える防風林も根こそぎ流され、本来ならば見えない太平洋も見通せる状況です。

 丁度海岸線と平行して高速道路が走っており、その堤防の機能を果たした道路の内と外、すなわち海側と山側との状態は全く異なり、一方では津波にやられ地獄のような光景と、他方全く元のままの状況とが混在する状況でした。

Photo_5  被災地では、主にJA関係者及び仙台市長・副市長らとお会いし、現地の生の声に耳を傾けました。

「ここはいちごの産地です。津波からギリギリ逃げることのできた人々も、またいちごはつくりたいけれど、もうここには住みたくない」

「地方自治体や農協の力だけではどうにもならない。一刻も早く国の支援策を明示してもらいたい」

「農業の将来を担い、地域コミュニティーの中核となっている若者達に、早く一筋の光だけでも届けてほしい」Photo_17

「今後この地域を守るために、その復興への道筋を立ててもらいたい。皆この故郷を愛しているのだから」

「着のみ着のままで逃げてくることができた避難所で過ごす人々は全く何もない状況だ。一刻も早く国からの支援金の一部でも届けてもらいたい」

Photo_11 「JAには生活維持のために出資金を返してもらいたいとの声が相当ある。JAが破産してしまうかもしれない。農業の再生が極めて厳しくなる恐れがある。」

「金もない、帰るところもない、農地もない、働く場所もない、農業への将来展望もない。今すぐ生活支援をしてもらいたい」Photo_13

「将来の農業再生のため、消滅してしまった用排水路、流されてしまった農業機械器具、ガレキの山となった農地等々への対策を講じてもらいたい」

「当面の雇用対策として、ガレキの撤去作業の補助員として仕事のできる環境を整えてもらいたい」Photo_14

「葬式をすること自体大変だ。寺もない、火葬場もない、ガソリンもない、土葬に対しての違和感もある。」等々

 様々な意見が寄せられました。

Photo_19  仙台市長からは、塩害対策に関しての科学的知見を国から提示することや、農家に対する将来展望が必要であること、また4ヶ所のポンプ場が壊滅し梅雨時期をしのげないのではないかという意見も付言されました。

 また、高台のないこの地域では集落再生のためには、海岸から何キロメーター後退させるかしか方法がない。国のガイドラインを示してもらいたいとのお話もありました。Photo_18

 皆さん途方にくれ、明日への夢や展望が全く持てない状況です。

 その後、避難所の皆さんとも意見交換をさせていただきましたが、ただただ互いに涙が溢れるばかりでした。

 若干の差し入れしかできず、後日みかんを送ることを約束してきましたが、その生活状況は一言で語ることはできません。

 しかし、帰り際、被災者の皆さんから拍手をもって送られたことが一つの救いでありました。

 我々は、今、できることを一つずつ早急に対応することが必要であると認識し、今後の対策に全力を傾注しなければならないと改めて決意したところです。

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