10月21日(土) 午後、地元今治市伯方町において せとうち創生プロジェクト「リレーシンポジウム 瀬戸内海」が開催されました。
―波穏やかな瀬戸内海に浮かぶ大小の島々、行きかう船、段々畑などの風景は、「人と自然」が調和した、世界的にも非常に貴重な文化遺産である―
このようなコンセプトのもと、今一度 瀬戸内海の歴史を検証し、これからのあるべき姿を共に考えていこうとするシンポジウムです。
私も来賓の一人として「四国内高速道路網の整備=陸路の8の字ルートと中四国に架かる三本の橋をベースとした海(瀬戸内海)8の字ルートを最大限活用することの重要性、その結果が ダブル8の字ルートとして 四国88ヵ所へつながる意義」についての提言をさせていただきました。
来賓として挨拶と提言をさせていただきました。
その後の記念講演の講師は、愛媛県北条生まれの作家・脚本家の 早坂 暁氏。
自らが瀬戸内海に対して 誰よりも強い思い入れがあることを前提に、大変印象的な お話をいただきました。
その一部を皆さんにご紹介します。
『古事記によると、イザナギ・イザナミの命が兄弟愛を夫婦愛に昇華して、最初に生んだ子(土地)が淡路島であり、続いて瀬戸内海を中心とした 土地を誕生させた。すなわち、日本の歴史は瀬戸内海から始まったのである。』
『フランスのアイデンティティは 地中海にあることを検証する フランスの学者がいる。 日本の学者の中にも、日本のアイデンティティは 瀬戸内海であるという研究をした学者がおり、期待していたが、先般 亡くなってしまった。』
『中国・宗との貿易で 財を成した平清盛は、瀬戸内海の海人(カイジン・ウミンチュー)として、安徳天皇の祖父としての地位まで築いた。しかし、その瀬戸内海で、海人 平家が馬の源氏に敗れた時、その時、歴史が動いたのである。』
『平家の海・瀬戸内海で、平家が源氏に敗れた理由はいろいろあるが、一つには、智将 源義経の存在であり、二つには、瀬戸内海の水軍の半分(河野水軍等々)が平家から源氏に寝返ったことによる。 もう少し、瀬戸内海を代表する平家が、源氏の攻勢に対して踏んばることができれば、農耕民族 日本の前に、貿易を中心とした 海人民族 日本の存在が日本の歴史の かなりの部分を占め、瀬戸内海の存在感をより一層高めていたかも知れない。』
『戦後 日本の復興は、瀬戸内海から始まった。 戦艦大和をつくった 瀬戸内海の造船技術が復興期の造船ブームの基礎となり、穏やかな海と素晴しい港の存在により 出来上がった石油コンビナートの巣が、日本経済を支えた。 もちろん、そのことによる 負の結果を見過ごすことはできないけれど・・・。』
『結論・・・今も昔も、瀬戸内海は日本を動かす中枢の地であり、瀬戸内海のおかげで 過去の、そして現在の日本国がある、と思う。』
いやあ、愛媛県人としては、胸のつかえがおりる様な大変素晴しい講演でありました。
ムロン、愛媛県人・瀬戸内海人としての話ではありますが・・・。
皆さん、歴史は大変面白いですよね。